建築家キャリアの原点に戻る――イオ・ミン・ペイ中国本土初の本格的回顧展が上海で開催
伝説的な建築巨匠イオ・ミン・ペイ(I.M.Pei、1917-2019)は中国で広く知られています。同氏は1983年のプリツカー賞を受賞し、20世紀から現在に至るまで国際的に最も影響力を持つ中国系アメリカ人建築家です。2025年4月26日から7月27日にかけて、イオ・ミン・ペイの中国本土初の本格的回顧展「I. M. Pei:Life Is Architecture」が上海当代芸術博物館(PSA)で開催されます。
この回顧展は2024年6月から2025年1月まで香港のM+で初開催されたが、今回は同氏が学習と成長を遂げた上海で、彼の建築家キャリアの原点を再訪します。

「I. M. Pei:Life Is Architecture」上海回顧展の会場。(撮影・頼鑫琳/解放日報)
本回顧展では、機関や個人が所蔵している図面原稿、建築模型、写真、映像、文献資料など400点以上が展示されています。そのうち、多くの展示品は初公開となっています。本回顧展は6つのテーマに分けており、イオ・ミン・ペイの生活と仕事を間近で体感することができます。これらのテーマは彼の独創的な建築手法を十分に展示しているだけでなく、その作品を社会・文化・人生の軌跡と照らし合わせることで、建築物と生活の緊密な関係を示しています。

イオ・ミン・ペイが設計した建築模型を鑑賞している来訪者。(撮影・頼鑫琳/解放日報)
イオ・ミン・ペイと上海との深い縁は1927年に遡ります。当時10歳のイオ・ミン・ペイは家族と共に香港から上海に移住しました。上海青年会中学と聖ヨハネ大学付属中学に通っていました。この時期の経験は若いペイが近代建築に出会うきっかけとなりました。1930年代の上海は近代化と都市化の大変革期を迎えており、1934年に竣工した「国際飯店(パークホテル)」は半世紀にわたってアジアで最も高い高層ビルでした。
彼が後に回想しているように、「私はその建物(国際飯店)の高さに強く魅了され、その瞬間から建築家を志すようになりました」。当時、彼はよく蘇州と上海を往復していることで、固有の歴史と文化を有する江南庭園建築を見ながら、国際都市の近代的景観も深く実感していました。この若い頃に体験した多元的な文化空間は彼に深い啓示を与えました。このように、彼は異文化と近代的環境の中で地域性と歴史的原型の探求と再現を求めるようになりました。
出典:澎湃新聞、M+、上海当代芸術博物館、解放日報