石川和則:東京から上海へ、日本人留学生の復旦大学での学びの旅
石川和則(左)と彼の博士課程の指導教員の尹潔(写真・新民晩報)
日本国籍の石川和則は、2022年に復旦大学哲学学院に入学した倫理学専攻の博士課程生です。2024年、彼は邯鄲路キャンパスで学び始めて9年目となります。「石川君は善と真を求める道で、常に努力しています」と、石川の指導教員である尹潔は語りました。
2022年10月、復旦大学第二附属高校で哲学クラブの学生たちと交流する石川(前列左から2人目)(写真・新民晩報)
復旦大学のキャンパスで、石川(左から2人目)と学生たち(写真・新民晩報)
石川の研究分野はメタ倫理学・神経倫理学・医学倫理学です。博士課程の指導教員である尹潔は、医学の専門知識を持っており、石川は尹のもとで学問をすることを決めてから、医学の知識を学んできました。一般的な医学の知識だけでは不十分で、外国語の医学専門書や文献を大量に読み、理解することが指導教員についていくために必要でした。
2015年、石川和則は留学生として復旦大学の広告学部に入学しました。黄旦先生のコミュニケーション学概論の授業で、石川は先生に紹介された人文科学の研究方法のいくつかに興味を喚起され、彼の中の学問を求める夢に火がつきました。キャンパスの豊かなアカデミックな雰囲気、満席の3108の講座、留学生寮での異なる肌の学生たちとの議論は、石川に、あと数年は純粋なキャンパスでより多くの時間を過ごそうと決意させました。
「倫理学は比較的に普遍的で、善に対する私の興味と追求に合致しています」と石川は言いました。そのため、彼は大学院の専攻に倫理学を選びました。
1995年、石川は東京で生まれました。父親は日本人で、母親は上海出身です。日本語を話しながら育った石川は、東京で幼稚園に通いました。そして7歳の時、母親はよりしっかりとした中国の基礎教育を受けるように彼を上海に送って勉強させることにしました。2003年、ピンインも中国語もほとんど理解できなかった石川は上海の小学校で学び始めました。
言語と文化の壁に直面し、石川は小学校になれるのに苦労しました。しかし、彼はあきらめずに努力を続けました。小学校を卒業するころには、石川は中国語と上海語ができるようになり、日本語も忘れてはおらず、英語も基礎ができていました。もちろん、父親と母親に会うために、頻繫に飛行機で日本に戻ってはいました。上海と東京の間を行き来することで、石川は同級生よりも世界を理解する目が養われました。
寮で語り合う石川のアメリカ人(左)とタイ人(右)のクラスメート(写真・新民晩報)
未来のキャリアについて、石川は自分が教育に関する仕事に向いていると思っています。社会での経験はそれほど多くなく、広告代理店での半年間のインターンシップを除けば、彼は読書と研究に取り組んできています。「復旦大学の文系は有名なのは、主に教師の厳しさと責任感の強さにあるので、私は怠けることはできません」と石川は述べました。彼はこれからも努力し続け、この多様性に富む都市で生活し、仕事をすることを楽しみにしています。
情報源:新民晩報