ピンポン玉が動かす国際都市――上海と卓球、百年の共鳴

japanese.shanghai.gov.cn| 2026-04-14

中国卓球発祥の地として知られる上海は、このポーツと100年以上にわたる深い縁を築いてきました。「小さな球(卓球の球)が大きな球(地球)を動かす(ピンポン外交)」から 、中国の国技を世界へと広める文化発信に至るまで、上海は卓球というスポーツと共に歩み、互いに高め合ってきました。

卓球と上海、百年の歩み

上海と卓球の出会いは20世紀初頭にさかのぼることができます。1904年、上海のある文具店が海外から卓球用具を取り寄せ、店内で実演を行ったことをきっかけに、このスポーツは一気に市民の間に広がりました。「省スペースで始めやすい」という卓球の特徴は、土地が限られた上海の都市構造と、新しいものを受け入れやすいという市民性に見事に合致し、その後、卓球が石庫門の中庭や工場、学校の校庭などに急速に根付き、「誰もが楽しめるスポーツ」としての厚い裾野を形成していったのです。

1918年に、「上海中華卓球連合会」が上海で発足し、これを機に、卓球も娯楽から競技としての発展が始まりました。1924年の第1回上海市団体選手権を皮切りに、「通商杯」「精武杯」など数多くの民間大会が開催され、幅広い層の参加を集めたことから、上海は中国卓球の「重要拠点」となっています。元中国女子代表監督の施之皓氏や、今なお現役として世界で活躍する倪夏蓮選手も、上海の路地裏や学校で卓球に親しんだ経験を持っています。これこそが、上海の街に深く刻まれた「卓球の遺伝子」の証と言えるでしょう。

黄浦江のほとりに刻まれた「卓球の叙事詩」

2018年3月31日、上海の黄浦江沿いに位置している「国際卓球連盟博物館と中国卓球博物館」が正式に開館しました。これはスポーツ分野における国際的な専門博物館として、中国に初めて導入された事例です。スイスのローザンヌから上海へ移転した背景には、中国の世界卓球界への多大な貢献と、上海という都市が持つ深い文化的蓄積がありました。

館内には、中国初の世界チャンピオンである容国団選手の優勝トロフィーから、中米「ピンポン外交」に関する貴重な資料まで、8000点を超える関連資料が収蔵され、卓球の栄光と時代の歩みを物語っています。今や、同博物館は年間来館者数が100万人を超える新たなスポーツ文化のランドマークとなっています。

l_CB20260409182739078063.jpg

国際卓球連盟博物館と中国卓球博物館の外観 (写真提供・上海体育大学)

2021年4月には、中米ピンポン外交50周年を記念するシリーズイベントが同博物館で開催されました。両国の選手による混合チームが親善試合を行い、1971年のあの温かな瞬間を再現しました。歴史から現在に至るまで、上海は常に卓球を媒介として、「和を以て貴しとなす」という東洋の知恵を世界に伝えてきたのです。

l_CB20260409183226115029.jpg

中米ピンポン外交50周年記念シリーズイベント会場の様子 (写真提供・国際卓球連盟博物館と中国卓球博物館)

卓球を通じた国際交流と人材育成

開放的な都市である上海は、卓球を通じて「中国の経験」を共有することにも尽力しています。2010年9月、上海体育大学に「中国卓球学院(CTTC)」が設立されました。

同学院は単一競技の名を冠した中国初の高等教育機関として、国内外の選手・指導者・審判・運営人材の育成を担うとともに、「卓球文化」を発信する教育・交流拠点としての役割も果たしています。2014年にルクセンブルクに設立された欧州分院は、これまでに延べ数千人の選手育成に貢献し、先進的な指導理念を欧州へ広めることで、ルクセンブルクを含めるヨーロッパ全体の競技力向上を後押ししてきました。

さらに2018年には、パプアニューギニアに卓球トレーニングセンターが設立され、国際水準の設備と中国から派遣された最高峰の指導陣により現地選手の育成が進められています。この上、同学院は毎年、パプアニューギニアの選手を上海に招いて強化合宿を実施するとともに、中国文化体験や中国語講座などを行い、技術と文化の両面での交流を実現しています。

こうしたシステム的な支援により、パプアニューギニアの卓球は飛躍的な発展を遂げました。2019年のパシフィックゲームズでは、同国が男子ダブルスで自国史上初となる銀メダルを獲得し、2023年には男子団体戦で銅メダルを手にするなど、着実に成果を上げています。

1904年の萌芽から、現在世界卓球を支える重要な拠点へと成長するまで、上海における卓球の百年の歩みは、もはやスポーツの枠を超えています。中国卓球の礎を築いたこの都市は、卓球に込められた知恵と力を通じて、これからも新たな時代の物語を描き続けていくことでしょう。

出典:解放日報