歴史沿革

japanese.shanghai.gov.cn| September 12, 2025

およそ6000年前、現在の上海西部はすでに陸地となっており、東部地域も2000年前には陸地となっていました。伝えられるところによれば、春秋戦国時代(紀元前770年〜紀元前221年)、上海は楚国の春申君・黄歇の封邑であったことから、「申」とも呼ばれています。西暦4〜5世紀の晋代、漁業で生計を立てていた住民が、竹で編んだ漁具「扈」を考案しました。さらに当時、河川が海に注ぐ場所を「瀆」と呼んでいたため、松江下流一帯は「扈瀆」と呼ばれるようになり、その後、「扈」は「滬(沪)」へと改められました。

唐の天宝10年(751年)、上海地域は華亭県(現在の松江区)に属していました。北宋の淳化2年(991年)、松江上流は土砂が堆積して水深が浅くなり、海岸線が東へ移動したため、大型船の出入りが難しくなったため、外来船舶は松江の支流である「上海浦」(現在の外灘から十六舗付近の黄浦江あたり)に停泊するようになりました。南宋の咸淳3年(1267年)、上海浦の西岸に市街地が設けられ、「上海鎮」と名付けられました。元の至元29年(1292年)、中央政府は上海鎮を華亭県から分離し、上海県の設置を承認しました。これが上海の都市建設の始まりです。

明代中期(16世紀)、上海はすでに中国の綿織物手工業の中心地となっていました。清の康熙24年(1685年)、清政府は上海に税関を設置しました。19世紀中頃には、上海は商人が集まる港湾都市として繁栄していました。そして、1949年に中華人民共和国が成立すると、上海は急速な発展を遂げました。

1949年10月1日、中華人民共和国が成立し、上海の発展は新たな章に入りました。上海の経済や社会の様相は大きく変化しました。特に1978年以降、上海は開放を拡大し、改革を深化させ、巨大都市としての特徴を備えた科学的発展の道を先駆けてきました。21世紀に入ってからは、上海はイノベーションによる発展、経済の転換と高度化を推し進め、国際経済・金融・貿易・輸送・科学技術イノベーションの中心として、社会主義現代化の国際大都市の建設という新たな局面を切り開こうとしています。

更新日:2025年9月12日

出典:上海統計局