張馬風景区
「張馬風景区」の鳥瞰図。(写真・WeChat公式アカウント「楽游上海」)
「張馬村」は上海の母なる川、黄浦江の源流である青浦区に位置し、その水質は良好なため、国家2級水源保護区に指定されています。村の面積は3.12㎢で、そのうち張馬風景区の面積は2.71㎢です。風景区には小さな橋と川の流れがあり、風光明媚で、水陸の交通も便利です。水路が縦横に張り巡らされていることから「東方田園のベニス」とも称されています。また、張馬村には「田山歌」や「摇快船」など地元の無形文化遺産も保存されており、村にある「泖塔」は「世界の歴史的灯台100選」の1つに数えられています。
「田山歌」
「田山歌」は、農民が草取りや田植えをする際に歌う歌の一種で、1人が先頭に立ち、みんなで順番に歌います。「落秧歌」や「吆売山歌」とも呼ばれています。
畑仕事をしながら「田山歌」を歌う地元の農民たち。(写真・上海市青浦人民政府)
「田山歌」の形式は独特で、独自のスタイルを持っています。歌は「分頭歌」「前売」「前嘹」「発長声」「趕老鴉」「後売」「後嘹」「歇声」などいくつかの部分から成ります。「田山歌」には複雑な要素が含まれているため、地域によってさまざまなスタイルで歌われます。
歌詞は、現地の人々の日常生活や、労働・生活・思想・愛情などを反映しています。「田山歌」はまた、上海とその周辺の稲作地域の社会的生活・風習・伝統を観察するための重要な文化的媒介となっています。
田山歌の歴史は古く、早くも明代(1368~1644年)には、上海でこのような民謡が歌われていたといいます。清朝末期から中華民国初期にかけて、上海における「田山歌」の創作と普及は最盛期を迎えました。
しかし、1960年代から1970年代にかけて、農業が発展し、農村の文化や娯楽が豊かになるにつれ、上海では、特に若い世代の間で「田山歌」は次第に衰退していきました。それにもかかわらず、一部の年配の村人たちの間で今でも「田山歌」を歌う伝統は守られています。
「揺快船」
青浦区朱家角鎮の川で「揺快船」を行う2つのチーム。(写真・WeChat公式アカウント「上海体育」)
「揺快船」は、清の順治年間に形作られた民間の伝統で、300年以上の歴史を持ち、船を使って楽しむ一種の水上競技です。
「快船」は「猪行船」と呼ばれる5トン以上の農船を改造してつくられ、さまざまな色のリボンで飾られます。各「快船」には23人が乗り、5人が「大艪」、4人が「短艪」を漕ぎ、2つの艪に9人で、2つのグループで交代して行い、「中艪」の銅鑼と太鼓に4人、「頭艪」に1人が乗ります。船上では銅鑼や太鼓の音が響き渡り、岸では黒山の人だかりができ、大きな歓声に包まれます。
「揺快船」のイベントは地元の人にとても人気があり、青浦の水郷である朱家角の精神文化の重要な一部となっています。毎回、「揺快船」は早朝から正午まで行われ、300年以上にわたって、地域社会の経済・文化・人文の発展と緊密な関係を保っています。
2007年、青浦の「摇快船」は市の無形文化遺産に登録されました。
「泖塔」
「泖塔」(写真・WeChat公式アカウント「楽游上海」)
「泖塔」は、唐代(618~907年)に建てられた5層の仏塔です。塔はレンガと木材で作られ、総高28.2m、本体部分20.6m、1100年以上の歴史があります。
この塔は仏塔であると同時に、航路を示す灯塔でもあります。「泖塔」は、数世紀にもわたって、文人たちによって、数多くの詩の題材にされてきました。
1997年、「泖塔」は国際航路標識協会によって「世界航路標識遺産」に登録されました。2002年には、中国国家郵政局が「泖塔」を含む5つの中国の歴史的灯台をテーマにした5枚セットの特別切手2002-10T「歴史的灯塔」を発行しました。
「畑上步道」
「畑上步道」(写真・WeChat公式アカウント「文化青浦」)
張馬村にある長さ173m、総面積は800㎡の畑の歩道です。歩道の両側には18本の北米ハナミズキが植えられ、中央には休憩用の木製ベンチが設けられています。この歩道はビジターセンターと村の委員会を結び、同時に観光客が田園風景を楽しみながら畑の美しさを堪能できる場所でもあります。
「張馬駅」
「張馬駅」(写真・WeChat公式アカウント「文化青浦」)
朱家角3路の莫家村バス停に隣接し、沈太路と尋梦源路の交差点に面積100㎡の「張馬駅」が新しくできました。この駅は「公益・利便・サービス」をコンセプトに、公共トイレ、コンビニ、都市公共自転車を備え、休む、見る、待つなどの機能が合わさっています。観光のお問い合わせや無料のお茶、小銭の両替などのサービスを提供しています。
場所:青浦区朱家角鎮沈太路2119号
情報源:WeChat公式アカウント「文化青浦」「楽游上海」「上海体育」、上海市青浦区人民政府