ロシアの音楽家一家の中国への愛に耳を傾ける:アロン・アフシャロムフ生誕130周年記念コンサートが上海で開催
近代中国音楽は発展の過程において、西洋音楽と中国音楽は融合し、交わりながら発展してきました。作曲家たちは、西洋の作曲技法と中国の伝統音楽をいかに融合させるかを探求し続け、多くの作曲家が重要な貢献をしてきました。その中でも特にユニークな作曲家に、アロン・アフシャロムフ(Aaron Avshalomov, 1894-1965)がいます。彼は『義勇軍進行曲』を最初にオーケストレーションした作曲家です。彼の『北京胡同』は古い北京の響きを留め、彼が創作した『孟姜女』は中国の音楽劇を世界のステージに押し上げました。彼は中国文化を深く愛していました。
アロン・アフシャロムフ(写真・WeChat公式アカウント「上海交響楽団」)
今年はアロン・アフシャロムフ生誕130周年にあたり、上海交響楽団はこの偉大な「中国通」の作曲家を記念して、9月12日にアロンの孫であるデイビッド・アフシャロムフをジャガー上海シンフォニー・コンサートホールに招き、祖父のいくつかの作品を指揮する特別企画を行いました。こうしてアフシャロムフと上海との三代にわたる縁が書き綴られていきます。
上海交響楽団はリハーサルの合間を縫って、デイビッド・アフシャロムフ夫妻を衡山路にある百代小紅楼に招待しました。ここはかつてレコード会社の職場であり、彼の祖父アロンが1932年から百代で指揮者として働いていた場所でもあります。
デイビッド・アフシャロムフ夫妻(写真・WeChat公式アカウント「上海交響楽団」)
アロンは西洋の作曲理論と中国の伝統音楽の融合を探求し、早くから西洋音楽の言語で中国の物語を語ることを試みていました。彼は生涯をかけて中国の民族音楽に貢献しました。百代小紅楼の音楽的な雰囲気に浸りながら、デイビッドは祖父の心境をより深く理解し、「ロシアの作曲家として、なぜ彼が中国文化にこれほど強く共感できたのかを想像するのは難しいと思われるかもしれません。しかし、ここに来て彼の音楽を聴けば、中国文化に対する彼の愛情が分かるでしょう」と述べました。
アロン・アフシャロムフは、中国とロシアの国境に位置する小さな町ニコラエフスクで生まれました。そこには多くの中国人も住んでおり、中国の風習が残っていました。アロンは京劇を聴きながら育ち、普段から好んで中国的な布靴を履き、長袍を着ていました。中国文化に魅了され、彼の子孫のほとんどは上手に中国語を話すことができました。
その影響を受け、デイビッドは1982年に中国を訪れました。彼は北京、西安、南京、杭州を訪れ、今回、再び上海に来ました。祖父のように幼少期から中国文化に浸っていたわけではありませんが、その愛情は骨の髄まで受け継がれています。
9月12日夜、デイビッドは祖父アロンが作曲した3つの作品『北京胡同』『ヴァイオリン協奏曲』『ホ短調第二交響曲』を指揮しました。
交響詩『北京胡同』は上海で完成され、作曲家の古い北京の思い出と印象を描いています。
『ヴァイオリン協奏曲』は、当時の上海工部局楽団(上海交響楽団の前身)のリハーサル場があった「四馬路菜場」(現在の福州路)で作曲された。アロンは当時、工部局図書館の館長を務めていました。曲は全体的に明るく穏やかな作風で、斬新なアイデアも多く盛り込まれています。
最後の『ホ短調第二交響曲』は、アメリカで作曲・初演されましたが、そのメロディーを聴くと、作曲家の中国に対する愛情が感じられます。中国が闇から光明を見出す時代を体験したアロンは、この作品を、構造的によく練り、感情的に自然で、味わいが深いものに仕上げました。大編成のオーケストラを必要とするだけでなく、中国式のシンバル、チャ、ゴング、ドラム、響木といった打楽器も取り入れられています。壮大な西洋交響曲の構成は、中国の民謡やメロディーを使うことで、繊細かつ躍動感のあるものとなっています。
情報源:WeChat公式アカウント「上海交響楽団」