67歳の日本人、上海の崇明島で作った米が、国際金賞を受賞

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日本人に世界一のお米は何かと尋ねると、多くの方は「コシヒカリ」と答えるでしょう。お米の「エルメス」とも称されることがある「コシヒカリ」は、特に日本の新潟県産のものが有名です。

新潟県から1400km離れた上海市の崇明のある農場は、近年、中国本土の「コシヒカリ」など多くの品種のお米の作付けに成功し、国際的な賞を数多く受賞しています。これには、ある日本人の助けとは切っても切れない関係があります。その方は、上海東禾九谷開心農場有限公司の稲作専門家顧問の石附健一氏です。彼の故郷はまさに新潟です。

2023年、石附健一は上海市の「白玉蘭記念賞」を受賞しました。彼は、胸に白玉蘭(マグノリア)のバッジを付けて記者の取材に応じ、「このような栄誉に浴し、大変光栄に思います。今後も上海と中国の農業の発展にさらに貢献できるよう、努力していきたいと思います」と述べました。

父の事業を追う

石附健一と中国との縁は、親の世代に始まりました。

1980年代、彼の父親は日本政府から中国に派遣された最初の稲作専門家として中国に渡り、稲作に関する技術指導を行いました。その父の影響を受け、40年以上前、彼も中国に渡り、中国の稲作の状況を調査し、日本の進んだ稲作技術を教えながら、中国全土をまわりました。

「当時と比べると、今の中国の農業技術は大きく進歩しています」と言う彼は、中国が農業を非常に重視しており、食糧安全保障、特に食料自給率の確保においてかなり改善していると感慨深く語ります。

しかし、食糧は量だけでなく質も求められます。彼は誰もが美味しく食べられる美味しい米作りを、長年探求してきました。2020年、ひょんなことから彼は崇明市の竪新鎮にある東禾九谷開心農場に招かれ、同農場の稲作専門家・顧問を務めることになりました。

農場で作業する石附健一(中央)(写真・上観新聞)

技術指導というのは、ある意味、漏れや欠けをチェックする過程のようなものです。彼は、高品質の品種を育てる育苗工程に欠かせない工場化的な管理が、日本では標準となっているのに対し、崇明での稲作ではまだ稀でと言います。

そこで、石附は日本から苗作り関連の輸入農機具を導入することで、育苗工程が人的要因や外部環境の変化に影響されないようにしました。彼は「苗の品質が、その後の栽培の成功を直接左右します。苗が健全に育ってさえいれば、作付け作業の半分は完了したようなものです」と述べます。

同僚との農機具のテスト(写真・上観新聞)

農場の展示ホールでは、石附健一は様々な表彰状の横で、彼の率いるチームが栽培した米の品種を熱心に記者に紹介しています。昨年中国で開催された第4回国際米・食味分析鑑定コンクール中国地区大会で、崇明農場の生産した2種類の米がクラウン総合の部で金賞を受賞しました。

今年10月には、彼が崇明でつくった「コシヒカリ」は日本の米コンクールで最優秀賞を受賞しました。日本の専門家には、上海産の「コシヒカリ」は日本の国産米に匹敵すると評価する人もいます。

農業理念の更新

石附健一は、崇明に農業機械だけでなく、先進的な農業理念も持ち込みました。

初めて彼に会った人は、上海の農地面積はそれほど大きくないのに、なぜ他の農業都市に行かなかったのかと疑問に思うかもしれません。

彼は、「日本の農業モデルから見ると、むしろ小規模の方が適しているのです」と述べ、土地資源が限られている日本では、農業は基本的に狭い面積での集約農業であり、この点で、上海と日本はとても似ていると説明しました。

この違いの背景には、技術的な要因だけでなく、経営的な考えの更新や、細かい面での高い要求もあります。「私は日本の経験を借りて、上海が小規模で精密な管理を行い、より多くの高品質な農産物を栽培できるようにしたいのです」。

作業場で働く石附健一(左)とチーム(写真・上観新聞)

現在67歳の石附健一の崇明での仕事は、生産管理計画の策定と栽培技術の指導が大部分を占めています。そのため、彼は頻繁に農場のスタッフと話し合い、気候変動に応じて栽培方法を適時的確に調整し、さまざまな外的の変化への対応について決定しています。

もう1つの重要な理念の更新は、生態環境に関するものです。

彼は、崇明は新潟県と同様に、農業に適した気候と、優れた生態学的条件を備えており、環境を保護することが農業の目標の1つであるべきだと気づきました。

畑で作物を調べる石附健一(右)(写真・上観新聞)

彼によれば、農業が排出する二酸化炭素は、世界全体の排出量の大きな割合を占めており、これは人類の食糧需要からの必然的な結果であり、完全に避けることはできないものの、農業生産方法を改善することで、環境への負担を減らすことができるといいます。新しい技術や設備を使用することで、ある程度、環境に優しい栽培をすることが可能になります。

栽培においては、彼は有機栽培にこだわり、生態保護に最新の注意を払っています。「私たちは、農業栽培が環境に与える悪影響を軽減すると同時に、農業に従事する人々が健康的な条件のもとで働けるような環境評価システムを確立する必要があります」。

融合的発展の模索

石附健一が初めて上海を訪れたのは、1990年代のことでした。彼の印象では、当時の街は今ほど大きくなく、ビルの数も多くありませんでした。彼は「上海の街は非常に急速に発展し、わずか数十年で近代的な国際的な大都市に成長しました」と感慨深げに語りました。

都市化の進展は、農業モデルにも影響を与えています。彼は、これこそが上海の農業の最大の利点だと考えています。

「都市農業の特徴は、消費市場に非常に近いことであり、これは持続可能な農業を実現するのに適しています」。彼は、上海は中国経済の中心都市であり、消費人口が多く、物流システムが発達しているおかげで、周辺の農場は市民の需要に応じてより質の高い農産物を生産することができ、同時に、レジャー・リゾートモデルを発展させることで、都市住民が身近な農場の楽しみを体験でき、安定した経営を実現することができると分析しました。

上海東禾九谷開心農場(写真・上観新聞)

石附が働く上海東禾九谷開心農場は、上海で最初のハッピー農場の1つであり、稲作、加工、レジャー・リゾートを有機的に結合させ、農村振興のための第1次・2次・3次産業の深い融合的発展という新しいモデルを模索しています。「日本には上海が学ぶべき豊富な経験があります」。

この新しいモデルは、若者が再び農村に戻るきっかけにもなっています。

「日本では、若者は次第に農村を離れ、ほとんどが大都市に移住しています。上海も現在、この問題に直面しています」。彼は、現在の農場は、いかに効果的に商品を展示し、市場や消費者に販売するかという重要な課題に直面しており、そのためにはマーケティングの人材が必要です。このような形で、より多くの若者が農業経営に携わることができます。

彼は、今後、中国の農場規模が拡大するにつれ、中国の農業技術が逆に日本の参考になる可能性があると言います。「私は日中両国の農業分野の交流と提携を促し、相互に補い合いながら発展するための懸け橋になりたいと考えています」。

出典:上観新聞(Shanghai Observer)