102年にわたる外灘の伝説――旧上海特別市政府庁舎が初めて一般公開
上海の百年間にわたる変化を見守ってきた外灘の西洋建築群のなかで最も目立つのは旧上海特別市政府庁舎です。築102年のこの建物は、かつて上海公共租界工部局の所在地と、新中国成立後の上海市人民政府の所在地として利用されました。初の大規模な改修とリニューアルを経て、かつての栄光を取り戻し、外灘最大の閉鎖式ファッショナブルなエリアとして生まれ変わった旧市政府庁舎は初めて一般公開されます。
上海の南京東路歩行街から南へ約200メートル、江西中路沿いに位置する旧市政府庁舎は、かつて「極東初の閉鎖式建築」として知られ、どの通りからも、どの角度からもその全貌を見ることが難しいです。最上階にある円形のベランダからは、陸家嘴のランドマーク的な建築物と外灘の両方を360度見渡せます。1914年に建設され始め、1922年竣工したこの建物は、現在築110年になります。バロック様式の装飾と美しいアーチ型の窓を持つ新古典主義様式を融合し、建築デザイン、美学、建築技術はいずれも当時の最高水準でした。花崗岩のファサードにより、城のように見え、世間では「ストーン・ハウス」と呼ばれています。
上海解放後、旧市政府庁舎は上海市政府の庁舎として利用され、1949年10月2日に上海解放後初の赤旗がここに掲げられました。建物の床面積は約22,705平方メートル、中には400以上の部屋があり、かつては公共租界工部局の800人以上の中国人および外国人職員の職場でした。中庭には英国ビクトリアン様式の「小紅楼」があり、かつては衛生処の事務処や消防士の宿舎として使われたことがあります。2003年の火災で焼失した講堂は、西洋のオーケストラが上海で初めて演奏を行った劇場であり、上海公共楽団の発祥の地と主要な練習場でもあります。アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、北朝鮮など十数カ国の芸術団体がここで演奏を行い、世界的に有名な舞踊劇『シンデレラ』やオペラ『ランスロット』の上海初演もここで行われたわけです。
1923年1月1日、ノーベル物理学賞受賞の報を受けたアルベルト・アインシュタインはこの講堂で、中国における最初でかつ唯一の相対性理論に関する講義を行い、当時大きな反響を呼びました。
1922年に新築されたこの建物は、戦争などの原因で結局3分の2しか完成せず、L字型の空白がそのまま残されてきました。今回のリニューアルにより、100年以上続いたこの空白が埋められ、完全な閉鎖型の建物に戻ります。
リニューアルされる旧市政府庁舎は、地上約42,000平方メートル、地下約26,000平方メートルの敷地面積を持ちます。全体は旧工部局庁舎、小紅楼、円形拡張建築、中庭建築で構成される街区規模の閉鎖式建築となります。
街区全体の約70%がオフィス用スペースとして計画され、国内外の有力金融機関や有名企業の入居を誘致します。残りの約30%はシェアビジネス・文化スペースとなり、コーヒーや軽食、流行の小売業などを導入します。メイン入口のパブリックエリアと、建築内の歴史的・文化的に重要な意味を持つスペースは今後、文化・芸術の展示会やさまざまな活動を随時開催するために使用されます。標準的なサッカー場とほぼ同じ広さの中庭は、オープンプラザとして初めて一般に開放され、下半期以降に一般市民を対象としたさまざまな活動を開催します。新たに建設される講堂は、世界的な文化・芸術団体を招聘し、将来的に音楽や芸術の公演会場として使用される予定です。紅楼は高級シェフ・レストランや高級ハイブランドを導入し、高級品消費のランドマークにするよう計画されています。
情報源:WeChat公式アカウント「ShanghaiWOW」