蘇州河畔のオリンピック記憶:中国オリンピック委員会跡地改修工事が完了

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5月20日、蘇州河のほとりに位置する華東政法大学長寧キャンパスにある100年の歴史を持つ建築群のうち、26-27号館の改修と内装工事が完了しました。ここは、中国国家オリンピック委員会の前身である中華全国体育協進会事務所の跡地でした。

この2階建ての別荘は、華東政法大学キャンパスが位置する旧聖ヨハネ大学教員寮にあります。1924年の夏に、初の全国的スポーツ組織となる中華全国体育協進会が設立され、その本部事務所が上海に置かれました。キャンパス内の26-27号館は、設立の準備、初期の議論をした拠点でした。

1931年に、国際オリンピック委員会は中華全国体育協進会が中国国家オリンピック委員会の機能を行使することを正式に認めました。翌年開催された第10回ロサンゼルスオリンピックに参加した中国唯一の選手である劉長春選手が、陸上100メートルに出場しました。彼が試合後に祖国に持ち帰った「中華オリンピック第1メダル」となる初のオリンピック大会公式参加記念メダルの原本が今ここに展示されています。新中国の成立後、この全国組織は1952年に中華全国体育総会、すなわち中国オリンピック委員会に再編されました。

聖ヨハネ大学の卒業生の子孫であり、スポーツ史研究者でスポーツ文化コレクターの蒋世瑋氏は、この古い建物の改修に参加するために米国から上海を訪れました。オリンピックと切っても切れない関係があるこの古い建物では、1936年の第11回ベルリンオリンピックの中国の陸上選手で有名な競歩選手である周余愚選手の息子、周明輝氏もオリンピックの歴史を思い出しました。父親の周余愚選手らはかつて中国代表として、上海からベルリンまで長距離を移動して、オリンピックに出場しました。周余愚選手がオリンピックの競歩競技に出場した際の112号の番号などのコレクションも今ここに収蔵されています。

事務所跡地からわずか数百メートル離れた蘇州河右岸に、「体育室」と呼ばれる中国と西洋のスタイルを組み合わせた古い建物があります。1918年に聖ヨハネ大学が簡素な体育館を取り壊し、その上にこの体育室を建設しました。敷地面積が421平方メートル、建築面積が881平方メートルで1919年に正式に完成したこの体育室の1階の東側にはプールがあり、当時としては非常に珍しく、上海初の学校用プールでした。2階は天井が高くて2層の窓があり、バスケットボールやバレーボールの試合が観戦できる体育館でした。このスポーツの伝統は現在も華東政法大学に受け継がれており、学校の野球チームなどのハイレベルなスポーツチームはさまざまな試合でメダルを獲得しています。

情報源:Shanghai Observer