上海都市推薦官と共に、老城廂から上海を読み解く
「上海を訪れる多くの観光客は、外灘や豫園、南京路しか知らなく、歴史深い老城廂(旧市街)を見逃してしまうことが多い」と、新たに上海の都市推薦官に就任した王墨縁氏は述べました。彼は、よく知られている観光名所以外にも、上海旧市街の「穴場」ルートを観光客にぜひ紹介したいと思っています。そのルートは、文廟、先棉祠街、喬家路の3つのランドマークを結び、上海旧市街の文化的な繋がりを示しています。
文廟:書物の香りと街の賑わいの融合
2002年、文廟は上海市文物保護単位に指定され、上海中心部で唯一、孔子を祀る「廟学合一」(中国古代の教育制度で、孔子を祀る孔子廟と、官立の学校を一体化させることを指す)の古建築群です。
「ここはかつて上海の最高学府であり、当時の文化の聖地だった」と王墨缘氏は紹介しました。文廟内の大成殿前には、学子たちが書いた祈願符がたくさん掛けられ、文廟の風物詩となっています。また、多くの上海生まれの人々にとって、文廟の最も特徴的な存在は、かつての古本市場です。王墨縁氏は「1990年代、ここは愛書家や古本探求者たちの聖地と崇められていた」と懐かしそうに語りました。
現在、文廟は改築・拡張工事が進行中で、2025年末に竣工する予定です。将来は、文廟の伝統的な配置である「西廟軸」と「東学軸」を復元し、学術研究、展覧・展示、文化教育、国際交流、観光レジャーなどの多様な機能を兼ね備えた文化的な知識の集積地としてのランドマークを目指します。
ビザ免除措置を利用して文廟を訪れたイタリア人観光客は、上海には高層ビル群と古い街並みが共存しており、その強烈な対比はイタリアでは見られない光景で、非常に印象深いと感動しました。
先棉祠街と龍門邨:紡織の女神と教育の聖地
文廟を離れ、学宮前街を東に進むと、すぐに尚文路に位置する先棉祠街に到着します。この目立たない小さな通りは、上海の綿紡績産業の重要な記憶を今に伝えています。
先棉祠は、上海の歴史において非常に有名な紡織業の先駆者である黄道婆を記念するために建てられました。彼女は当時、綿紡績技術を松江に持ち帰りました。元末期から明初期の時期には、松江府が「衣被天下」(天下の衣類を提供する)と称されるようになっていたことが、当時の上海の綿紡績産業がかなり発展を遂げていたことを証明しました。先棉祠の竣工後は、綿花公所などの業界団体が次々とこの地に移り、上海の綿紡績産業を探求する重要な拠点となっています。

龍門邨の内部。(撮影・李宝花/解放日報)
先棉祠街の隣にある龍門邨も長い歴史を持ち、かつては現在の上海中学の前身である龍門書院があった場所です。龍門邨に足を踏み入れると、まるで時が巻き戻ったかのように感じられます。石庫門やアールデコ調の中西折衷の洋館、テラス付きの古い住宅など、さまざまな建築様式が揃っています。「これらの建物は上海の異なる時代の歴史を物語り、非常に重要な歴史的証だ」と、王墨縁氏は語りました。
喬家路:かつての名門貴族の集住地
陸家浜路をさらに東に進むと、今回の旅の3つ目の目的地である喬家路に到着します。この380メートルにも満たない小道には、上海の歴史に名を刻んだいくつもの名門貴族の邸宅が集まっています。
「この道はかつて、上海市内の高級住宅地だった。この橘の木を目印にすれば、喬一琦の旧居の跡地が見つかる」と王墨縁氏は道端にある橘の木を指しながら語りました。喬一琦は明朝万暦年間の抗金の名将で、その旧居の建物は既に存在していません。喬一琦以外にも、この道には多くの著名人が住んでいました。王氏は「徐光啓(明代の暦数学者)の先祖の住宅『九間楼』はすぐ近くにある。向こうに見える美しい洋館は民国時代の同盟会メンバーである王一亭の梓園で、清朝末期の沙船大王・郁松年の邸宅や上海の百年老舗である喬家栅の発祥地もこの通りにある」と紹介しました。
この「穴場」ルートは、単なる3つのランドマークだけでなく、上海という都市の文化的な遺伝子そのものを結びつけるものです。王墨縁氏が述べたように、「これらを理解してこそ、初めて上海を真に読み解くことができるのだ」。
出典:上観新聞